2009年07月18日
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「現場付近に集合せる内径2,100粍鋼管」写真はどこか・突如浮上した「初台2丁目説」

Written By: 川俣 晶連絡先

これまでの経緯のまとめ §

 土木学会図書館|土木建築工事画報に「1925(大正14年)年2月~1940年(昭和15年)9月まで発行された「土木建築工事画報」全巻」がPDFファイルとしてあり、その中に以下の文書があります。

 この文書は、昭和7年4月号掲載であり、玉川上水新々水路建設中に記述されたものです。この記事に掲載された以下の写真の撮影地を特定する試みを続けています。

現場付近に集合せる内径2,100粍鋼管

 その結果、「泉新橋1号人道橋説」という仮説に到達しましたが、資料が増えるに従ってこの仮説と整合しない事実が次々と見つかり、かなり可能性は低いと言わざるを得ない状況に陥っています。(貴船神社に至る水路跡の発見などは、この現地調査から派生した成果です)

帝都地形図という有力な資料 §

 コレジオの帝都地形図は記述内容の時期にばらつきがあるものの、時代的には上記の写真の時期を包含しており、戦後の航空写真よりもずっとあてになりそうだ……という感触があります。また、記述内容の詳細さでも抜きん出ています。100%ではないと保留を付けつつ、これを最大の基準と捉えたいと考えます。

「泉新橋1号人道橋説」の問題 §

 新規に発見された「泉新橋1号人道橋説」の長所は昭和44年の住宅地図等に水道局の資材置き場があるという記述がある点ですが、これは決定的ではありません。

 「泉新橋1号人道橋説」の主要な問題は以下の通りです。

  • 「泉新橋1号人道橋説」の根拠の1つであった傾斜路が帝都地形図には記載がない (おそらく当時は存在していない)
  • 帝都地形図の解説文(寺田史朗さんによる)に1921(大正10)年に造られた郊外型の娯楽施設「泉湧菖蒲園」への言及があり、龍光寺手前の空き地はそれの跡地と思われる。それを除外すると、面積が小さすぎる

 他にも細かい不整合が多くあります。

初台2丁目説 §

 今日は東京都中央図書館で帝都地形図を「この目的に絞って」見てきました。

 その結果分かったことは、「やはり甲州街道と玉川上水新水路の間に候補地はない」というものでした。

 しかし、それとは別に発見したものがあります。(対象の箇所に着色してあります)

初台2丁目説

 文字部分は拡大すると以下の通りです。

文字部分のアップ

 現在の地図では以下のあたりです。

 この位置とするメリットは以下の通りです。

  • 背景に10メートル程度の高低差があり写真と整合する
  • 背景の樹木が地図記号で書き込まれていて写真と整合する
  • 比較的広く、すっぽり自動車の入る鋼管を多数並べることができそう
  • まさに地図上に「水道局材料置場」と書かれている
  • 玉川上水新水路から見れば近いとは言えないが、新々水路つまり甲州街道から見れば十分に「近い」

実は知っている §

 実は何回かこの脇を通ったことがあります。

 しかも、気になって写真まで撮っていて、あとで水路の存在を「春の小川の図録」で確認しています。以下は代々木公園に行ったときに撮った写真です。

代々木公園の返りに撮った写真

 まさに奇遇な縁を感じざるを得ません。

 2009/07/19追記。この水路は上記の地図で地域中央を貫くラインに相当し、初台川ないし宇田川・初台支流にあたると思われますが、上記地図には深町川と記されています。このあたりに深町という地名があったのは事実のようです。

 2009/07/23追記。続報は「現場付近に集合せる内径2,100粍鋼管」の「初台2丁目説」に確証は無し・深町川は誤記の可能性ありにて。

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